批判疲れ
そういう表現が好きな人には申しわけないが、「○○疲れ」という言葉を安易に用いることが私は好きになれないでいる。
流行の言葉に『疲れ』という単語を加え、それだけで「最近はなんかこういう気持ちだよね」とする演出態度の安易さが好きになれない。『疲れ』という言葉で醸し出される空気を利用する浅さと軽薄さに無自覚な感性も好きになれない。
その好きになれない気持ちは、「某○○」という言葉使いに対する感覚にも似ている。過剰な反応と言われるかもしれないが、私はそこに、「知っているよね~」という少し押しつけがましい同調圧力を感じて不愉快になる。名前を出すならきちんと出し、出さないなら完全にぼやかせばよい。そう私は思う。
それが、今日までの私のほぼ一貫したスタンスだった。
ただ、下記の「批判疲れ」という用法について、上記のスタンスを貫けない自分がいる。安易だとは言い切れない。
それは、「批判疲れ」という空気が醸成する先にある世界の感触にあまりにリアリティがあり、従来の「○○疲れ」という言葉と一線を画しているかもしれないと思えるからかもしれない。
身体を使うゲーム性
子どもの頃、ツイスターというゲームが流行った世代だ。検索してみて、「タカラトミーで今でも売っているのか!」という別種の感慨さえ生まれる。
http://www.takaratomy.co.jp/products/twister/
ツイスターの楽しさは、スポーツ未満で、身体性を持ち、適度なゲーム感(挑戦性)があったことに起因する。身体を使いながらのゲーム性と手軽さがほどよいバランスだったし、シンプルでわかりやすいよくできたゲームだった。誰もが「あっ、ちょっと自分もやってみたいな」と思える娯楽性があり、実際にやってみると子ども心に楽しかった。
Augmented gaming climbing wall(拡張ゲームクライミングウォール)は、そんなツイスターにちょっと似ている。スポーツクライミングのストイックさを上手に外して、大人も子どもも「ちょっと遊んでみたいかも」と思わせるるバランスがいい。
ブロッコリーの樹
子どもの頃には、ブロッコリーは食べなかったなぁと思う。
アブラナ科アブラナ属の花の総称を菜の花という。また菜の花の菜とは食用という意味である。ブロッコリーはアブラナ科アブラナ属で花の部分を食用としている。以上のWikipediaの記事の記述を信じれば、こういうことになる。
- アブラナ科アブラナ属の花の総称を菜の花という
- 菜とは食用ということである
- ゆえに、菜の花とは食用であるアブラナ科アブラナ属の花の総称である
- ブロッコリーはアブラナ科アブラナ属である
- ブロッコリーは花の部分を食用としている
- ゆえに、ブロッコリーは菜の花である
- ゆえに、ブロッコリーのゴマ和えは、菜の花のゴマ和えである
7の帰結が美味しいかどうかは別として。
Wikipediaによれば、ブロッコリーは地中海沿岸の原産、花を食用とするキャベツの一種がイタリアで品種改良され現在の姿になったとされるという。食用とするのは蕾の状態の花序と茎であり、収穫せずに栽培を続けると巨大になった花序に多数の黄色やクリーム色の花をつけるともある。
以前、近所の畑で見かけたものは、多数の黄色やクリーム色の花をつける前のものだったということになる。
近くによれば巨木のようだ。
しかしこれは花たち、正確には蕾の状態の花序と茎なのだ。
自然の形は面白い。
雛の調度
うつくしきもの・・・雛の調度。
写真の雛飾りを福岡に住んでいた頃に飾っていた。狭い部屋のサイドボードの上においてあったから『裏店やたんすの上の雛祭り』(高井几菫)が適切か。
それぞれのお飾りは毎年少しずつ買い足されていった。縮緬のお雛さまたちも最初は中央の二つだけ。ほかの子は後から徐々に仲間入りした。牛車などのお道具は雛飾りを見に行ったときに日田の小さなお店で買ったもの。
一番古いお飾りは実は後ろのぼんぼりで、これは福岡よりもずっと前の結婚前に買ったおぼこ雛についていたもの。屏風も後から別に買ったもの。その他、近所の店で買い足したものなどいろいろ。
雛祭りの時期になるとこの写真を思い出す。
なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし。
(2006年2月25日, mixi改)
リアルとフェイクの質的な境界
中野にあるキリン本社の受付のソファーに何気なく出川哲朗のリアル人形が座っていてちょっとビックリ。受付の人に内緒でちょっと触ってみて、そして改めてしげしげとみる。髪の毛の部分も植毛してるし、肌の質感とかもものすごくリアルだった。
リアルとフェイクの境目がどんどん曖昧になっているなと思う。それはAIとかフェイクニュースとかそういうことではなく、もっと造形的にとか運動的にといった質感のレベルで。
A company makes creepily realistic babies
Boston Dynamic's Newest Robot Is Like A Horse On Roller Skates
私には何が見えているのか
何かを信じるということの前提には自分に見えているものへの信頼が暗黙的にある。錯視はその根本を揺らがせる。
たとえば、お面の裏側が普通の凸面の顔として見えてしまう「ホロウマスク錯視」(*1)。私には下記の映像を何回見ても裏面のチャップリンの顔が普通に顔として認識されてしまう。それ以外の見え方がどうしてもできない。「事実がこうです」と言われても、あるいは頭では理解していても、私にはそう見えないのだ。
Charlie Chaplin Optic Illusion
あるいは同じタイプの錯視の「首振りドラゴン」。トリックか合成映像としか思えない。それ以外の説明を下記の映像から認識することが私にはできない。そうでもしなければドラゴンの視線が追いかけてくる様子を自分に対して説明できない。
Gathering for Gardner Paper Dragon
「首振りドラゴンの作り方」(*2)の動画を見て、私は初めてその構造を理解することができた。それでもまだ自分が何を見ているのか信じられない。
錯視の映像はたくさんある。その多くは「自分にはそう思えたが、実際はそうではないらしい」と容易に納得できる。「見間違いしやすいもの」という説明が合理的に感じられる。そして、そのような錯視が自分の脳の機能的なものとは思うことができない。
JSTバーチャル科学館「マインド・ラボ」が素晴らしい。このサイトは自分に対する暗黙的な信頼を具体的に揺らがせてくれる。たとえば「SESSION 1:連続した世界という幻影」の「01 補完される盲点」の実験。盲点という視野の中に見えない領域があるという事実は入り口にすぎない。それ以上に脳は存在しない像を補完的に再構築するのだ。そういった驚きの体験をこのサイトは明確な形で与えてくれる。
私には何が見えているのか? 根本的な問いが立ち上がる。
(*1) 仮面の裏側が見える人・見えない人:「ホロウマスク錯視」研究https://goo.gl/oGNLuA
(*2) 首振りドラゴンの作りかた
http://sago.livedoor.biz/archives/51180274.html
ドーハ経由
アムステルダムからロンドン・ヒースロー空港への飛行機が強風でキャンセル。確かにアムステルダムも風が強くて、発着が遅れていた便もあったが、ロンドンからのブリティッシュ・エアウェイは連続でキャンセルされていた。イギリス上空の大型の低気圧のせいで、ロンドンからの便が来られなくなったのかもしれない。
いずれにせよ、ヒースロー経由で羽田に帰ることができなくなった。結局、ドーハ経由で成田に飛ぶことに。トランスファーとはいえ、初中東ということになる。しかし、高校時代、世界史も世界地理も興味がなく、恥ずかしいが、そもそもドーハがどこにあって国がどこなのかがわからない。ドーハの悲劇という言葉だけが思い出される。しかし、サッカーにも興味がなく、あのときも「へ~、そうなの」と淡々とスルーしていた。
それでは埒があかないのでネットを検索する。そうか、ドーハはカタールの首都で、カタールはペルシャ湾岸の国なのか。それにしても、ペルシャ湾にこんな出っ張りがあったのか。ペルシャ湾の西側はサウジアラビアとアラブ首長国連邦だけじゃないのか。
さて、成田に着くのは何時なのか? ろくに確認もせず「ドーハ経由で成田だけどいいか?」と尋ねられてジャパニーズ・スマイルで「オッケー、オッケー」と言ってしまったのが悔やまれる。航空券をよく見るとドーハでの乗換便は「2時20分にゲートに来い、飛行機は3時20分に飛ぶ」とある。アムステルダム発は16時45分、南回りになるから時間はかかるだろうと思っていたけれど夜中に初中東。微妙に気持ちが沈む。
とはいえ、袖振り合うも多生の縁。Wikipediaによると、日本の天然ガス輸入量ではカタールからが第4位だという。天然ガスとは縁がないからこそ、確かにこんなことでもなければ行かない国かもしれない。
アムステルダムからドーハまでは約6時間。やっぱり感はあるものの、早朝ともいえる真夜中の2時、3時も、時差を考えれば体内時計上はなんとかなりそうな気もしてくる。カタール航空も快適。映画も日本語が用意されており、まったく問題がない。食事も美味しい。
ドーハ着。ハマド空港(新ドーハ国際空港)は思いのほか賑わっている。誰もいない空港の可能性も予想していたので安心する。新しい空港なので、当たり前のことだがきれいだ。写真には撮らなかったが、この2階左右の通路の内側をスケルトン性の強い構内線(2両)が走っていて、それが未来的でかなり格好良い。
ドーハからの便は、カタール航空・日本航空のコードシェア便はほぼ満席状態。成田までの飛行時間は約9時間。機内で寝ているべきか起きているべきか、すごく迷う。結局、前の日早起きをしてしまって眠かったのを幸いに、機内では前半寝て後半起きているパターンにする。
成田では自宅方面に向かう成田エクスプレスの最終に乗ることが出来、る。おかげで、予定の飛行機の場合に比べると4時間くらい余計にかかったとはいえ、21時ヒースロー経由羽田で予定して時刻よりは約4時間遅れで無事帰宅する。