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okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

自由であることの希求: 志賀浩二 『数学という学問 III: 概念を探る』

書籍

初期集合論を確立したカントル。カントルはなぜ「数学は自由である」と考えたのか。カントルの数学と、数学における概念との関係に焦点をあてながら、その意味が本書では記述されている。

著者は問う。あなたは樹の幹を描くときに輪郭から描くか? それは本当に樹の幹を描いているのか。樹の近くによれば、そこに樹の輪郭などは実在しない。概念とは形式的な補助線に過ぎず、樹の幹の本質とは異なるのではないか?と。

正直に告白すれば、数学の部分はかなり斜め読みになってしまった。しかし、それでも本書は十分に面白い。なぜなら、カントルが、無限をどういう思想的立場で捉えていたかということが丁寧に描かれているからだ。カントルの「形式や形態は見取り図であるが現実性はない」とする立場は、それまでの幾何学的な概念に縛られることなく、それを捨象し、そこから自由であることを希求する。

捨象? 事物または表象からある要素・側面・性質を抽象するとき、他の要素・側面・性質をあえて捨て去ること。我々は抽象をよしとしていないか?

カントルの立場は、無限を単なる抽象的な概念として捉えるのではなく、整列可能となる集合とそこに現れる数の性質として描く。そのとき、我々は幾何学的な直観からも自由であらねばならない。

その立場は、ともすれば、実在するのかしないのかも定かではない「概念」に囚われやすい我々に、自由であることの意味を問い直してくる。