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okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

エッセイを読むように禅の入り口に触れる: 星覚 『坐ればわかる 大安心の禅入門』



雲水としてベルリンを拠点に活動する著者による禅の入門書。著者の経験や実感をベースに書かれており、エッセイを読むように、禅の入り口に触れることができる。「禅とは何か?」という大上段なアプローチではなく、若い禅宗の僧侶の生き方そのものが、都会でシンプルに暮らすヒントになり得ることが示されている。著者の人柄によるものだろう、読後感はとても爽やかだ。

本書は、「一、身体をととのえる」、「二、暮らしをととのえる」、「三、心をととのえる」という三つの章で構成されている。入門書ではあるが、「How」が記述されているというよりは、永平寺での修行時代を振り返りながら「What」と「Why」が、そして論理的にというよりは感覚的な実感として記述されている。日常の中で身体の声を聴くなどという習慣を持たない我々にとって、たとえば、「身体の癖を発見する」という考え方そのものが新鮮だといえる。

本書の中で描かれる著者を含めた若い僧たちが、我々とはまったく異なる世界に生きているのではなく、我々と隣接する世界で、我々と同じように悩みながら生きている様子も、本書の読後感のすがすがしさにつながっている。

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1970年に開催された大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」。それは極めて20世紀的だったといえる。そして、それは同時に時代の変曲点であったともいえる。

田中角栄の「日本列島改造論」と有吉佐和子の「恍惚の人」が1972年、円が変動相場性に移行したのが1973年、第一次オイルショックが1974年、三菱重工爆破事件が1974年、有吉佐和子の「複合汚染」が1975年。今につながる20世紀の軋みと相剋がせめぎ合う時代の始まりだったともいえる。

1970年から45年。1981年生まれの著者にとっては、それは生まれる前のことであり、だからどうということでもないだろう。しかし、無限の成長を無邪気に信じられた時代ではない時代に生まれ育った著者が提示する世界観は、次の時代の先駆けなのかもしれない。

その根本は、つましく、そしてシンプルである。そして本書は、「そもそも人というものは、そういうシンプルな存在だったのかもしれない」という気持ちにさせてくれる。

人皆生得の衣食有り。思ふによりても出来たらず、求めずとも来らざるにあらず
人は各々、一生に備わった衣食がある。思い悩んだからと言って出てくるものでもなく、手に入れようとしないとやってこないというものでもない。(『正法眼蔵随聞記』

たとえば『護持』という言葉についての思い。「いつかはマイホーム」型の20世紀的な思いとは大きくことなる。断捨離的なシンプルさへのアプローチを前提にしつつ、伝えるものとしての矜持がそこにはある。

「護持」とは護って持つこと。たとえ自分の着るものであっても、自分が所有しているわけではなく、縁あって物を分相応に分担して「護っている」という考え方です。護持をするには、乱暴に扱うことはもってのほか、美しい状態で保つことに細心の注意を払わなければいけません。本当は誰のものでもないけれど、たまたま自分が今、護る責任を課せられているにすぎないというのが大前提なのです。

1970年から50年を経た2020年、そしてさらにその後の50年を考えるとき、本書のアプローチが世の中に広く受け入れられていくのかは分からない。まったく別の異なる価値感が新たに立ち上っり主流になるかもしれない。大阪万博のサブテーマ委員を務めた小松左京が「未来の思想 文明の進化と人類」を書いたのが1977年。序章は「意識・余剰・未来」、第一章は「終末期の誕生」、第二章は「神と未来の崩壊」、第三章は「現代の未来的状況」、そして最終章は「「進化」の未来像」である。

本書は、これからの兆しのウォッチポイントとしても存在している