okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

生産的に書くことは誰にでも可能: ポール.J・シルヴィア 『できる研究者の論文生産術』



本書の副題は、どうすれば「たくさん」書けるのか。

本書は、研究者に限らず、書くことを日常的に仕事としている人すべてのための本だ。小説家や詩人になるための本ではない。あくまでも仕事として書くことを求められている人のための本だ。そして書くことが仕事であるにもかかわらず、本当に大事な仕事に限って、まるで夏休みの宿題のように最後のさいごまで溜めてしまい、締め切り間際に泣くような思いをしてしまう私とあなたのための本でもある。本書では、泣きながら書く人から脱し、生産的に執筆できる人になるための「システム」を具体的に提案している。

文章の生産性はある種のスキルであり才能ではないと著者は主張する。だからこそ本書は実用書として機能する。書かない理由・書けない理由をひとつ一つ解きほぐし、書かなければならない私たちに具体的で実用的な示唆と希望とを与えてくれる。生産的に書くことは誰にでも可能なのだと教えてくれる。

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本書の構成は論理的で心情的だ。本書の著者が心理学の研究者であることもその一因だろう。

本書の前半では、私たちが書くことを先延ばしにする言い訳を、一つひとつ丁寧に、しかも容赦なく打ち砕いていく。しかも巧みに。

第二章のタイトルは「言い訳は禁物 - 書かないことを正当化しない」だ。私たちは心の中でいつも書かないことを正当化している。「できない理由」を探している。夏休みの宿題もそうだった。「夏休みだし」「子どもは遊ぶのが仕事だし」「まだ時間はあるし」「プールに行かなきゃいけないし」「夏休み子どもアニメ見てからがいいし」と。本書を読み進めると、子どもの頃の記憶が、懺悔と後悔とが、トラウマスイッチとして甦る。著者はそんな懺悔と後悔のトラウマスイッチを一つ一つ丁寧にリセットしていく。そして書くという日常を生きるための一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。

中盤からの「第三章 動機づけは大切」「第四章 励ましあうのも大事」「第五章 文体について」のHow to的な部分は、すべて私たちが書くことを日常とするための支援の章だ。「第六章 学術論文を書く」は、私たちが書かなくてはならないもののフォーマットで読み替えればよい。私たちが日常的に行っている「書く」という行為に合わせて調整すればよい。本書の直接のターゲットや読者層は「学術論文」およびそれを書く人たちだ。しかし、そうでなくてもいい。書かなければならないこと、書きたいこと、書かれるべきことは無限にある。

終わりの二章、「第七章 本を書く」「第八章 おわりに」は希望の章だ。書くことを日常とし、これまでの章と第七章を実践すれば本まで書けてしまうのだと著者はいう。もちろん著者はそれを妨げる様々な自分の心への対処法への目配りも怠りない。本書が提案する「システム」とは心の働きと行動の価値によるシステムだ。読者は安心してそれを信じることができる。

著者は引用する。

まだ書かれていない素敵なことがらに思いをめぐらせるのは本当に楽しい。この楽しみには終わりというものがないから」。「そうやって考えたことのいくつかを僕は必ず書くんだ」。

書くことは努力を要する。しかし、同時に、生産的に行うことができるし、人生を豊かにもしてくれる。著者の主張はそこにある。プロフェッショナルとして書くことを日常にする。それが人生を充実させることにつながる。そう本書は伝えている。


さぁ、何かを書こう。毎日。この本はそのための本だ。