okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

40年後に思いを馳せる

ある日家に帰ると家族が「幸福の黄色いハンカチ」を観ていた。Wikipediaによれば「幸福の黄色いハンカチ」は1977年10月公開だから、いまからざっと40年前になる。主演の高倉健も共演の武田鉄矢桃井かおりも若い。同時期に「ルパン三世」のテレビシリーズが公開され、「未来少年コナン」はその半年後、「機動戦士ガンダム」は1年半後に始まった。アニメ全盛時代が第2フェーズに入った時代とも言える。子どもを中心にするコアが存在した時代だ。

幸福の黄色いハンカチ」のラストシーン、夕張の町を高倉健らを乗せた車が疾走する。風景の中に映るシーンに子どもが多い。子どもばかりが映っているようにさえ感じられる。山田洋次の演出だとしてもこれが当時の自然な町の面影なのだろう。

テレビでは「子どもの数、過去最低更新 35年連続減の1605万人」というニュースが流れている。総人口に占める割合も1975年から42年連続で減少だという。バブル景気といわれる1986年から1991年の約10年前に時限爆弾のように日本の右肩下がりは始まっていたことになる。山田洋次はそれを予感し、夕張の風景に重ねていたのだろうか。

以前ワークショップで『30年後の「こすぎ」を想像せよ』と投げかけられて当惑したことを思い出した。直前にみた「幸福の黄色いハンカチ」のせいかもしれない。1977年当時の自分はベルリンの壁がなくなるかもしれないと想像さえしなかったのだ。30年後、40年語の世界を想像することは本当に難しい。人口統計はもっとも予測可能な未来の事実なのにそれすらも肌感覚で意識することは難しい。

そんなことをFacebookに書いたら、「30年後?じっくり過ぎていって何も感じないよ」というコメントを貰った。その通りだろう。ゆっくりとした大きな変化の中で変曲点を感じることはできない。それが前提なのだ。しかし妄想することは可能だ。

2015年に発表された国連の推計によれば2100年の世界の人口は112億人に達する一方、日本の人口は8300万人になるという。日本の人口について言えば出生率がさらに下がればさらに下振れする。仮に6000万人まで下がったとしよう。道州制が導入さえ日本が9つのブロックに分割されたとしよう。単純に計算すればひとつあたりは700万人となる。関東・中部・関西にやや多めに人が住むとすればそれ以外は500万人程度だ。九州でいえば福岡県の人口が九州の人口となる。面積・人口でいえば九州はデンマーク的な国となるのかもしれない。いや、それすらも現在の延長線上でしかない。

夕張の炭鉱が閉山したのが1990年。それから7年後の1997年、日本で最後の大牟田の炭鉱が閉山する。大牟田の人たちは夕張を見ていたと思う。そして本気になって炭鉱閉山後の大牟田の未来について考えたのではないだろうか。

100年のスケールで感じる。1,000年のスケールで感じる。高度成長の20世紀的な価値感ではなく21世紀的であるとは、そういうことなのかもしれないと思う。