okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

心のエミュレータを起動せよ: ボブ・シュワルツ 『ダイエットしないで痩せる方法』

本書は、副題「痩せている人はなぜやせているのか?」が象徴するように、ダイエットという「行為」ではなく、痩せている人の「心の状態」に注目している。

しかし、それはダイエットに関する精神論ではない。もし読者が、これまで何度となくダイエットという行為をしてきたとすれば、おそらく腑に落ちるはずだ。「なぜ自分はいまこんな風に食べているのに、彼や彼女はそんな風に食べるのをやめてしまうのだろうか?」 そんな疑問が常に心の片隅に存在していたことを。

同じような疑問を著者は持ち、その問いの答えを探し始める。

私はスリムな人たちの世界へと旅を始めました。スリムな人を見つけ出し、彼らを研究したのです。話をし、観察し、質問し、彼らが見ていないときに彼らを注意深く見つめました。初めのうちはうまくいきませんでした。スリム体質の人は、自分が何をしているかまったく自覚していないからです。(p.20 スリムな人たちの世界) 

そしてその先に、著者はひとつのヒントを見つける。スリム体質の人がそもそもダイエットに興味がないことを。彼我の差は、そもそもの心理的な状態の差であることを。

「スリム体質の人と同じように考えよう」 そう、本書の結論はとてもシンプルだ。だから、本書のほとんどの部分は、「スリム体質の人の心理的な状態」に対し、「ダイエットを必要とする人の心理的な状態」の自分の心を意識する、認知行動療法的なアプローチに費やされている。

本書が有効に機能するかどうかは、この認知行動療法的なアプローチをどのくらい素直に受け止められるかにかかる。そこで求められるのは、ダイエットという行為の実施ではない。「自らの動きを静かに眺める」という自分との対話だ。本書の書き込み型の練習問題は、その対話から自然に気づきが生まれるように設計されている。

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もし読者が、ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことを、やりなさい」を読んだことがあり、それに共感するのであれば、本書のアプローチは有効だろう。

本書が求めているのは、食事制限でもなく運動でもない。ただ自分の心の動きを静かに眺めることだ。心の動きは二つの要素に分解される。ひとつは身体からのメッセージに耳をすませること。もうひとつは自分というものを素直に受け入れること。いずれもジュリア・キャメロンが語っていたことの隣接領域だ。

ダイエットという行為を仮に量的研究型のアプローチだとすれば、スリム体質であるという状態を考えることは、質的研究型のアプローチだ。

なぜ、質的研究型のアプローチが必要なのか? 身体と心はパーソナルなひとつの社会システムだからだ。身体と心というパーソナルな社会システムの動きは、量的にだけ捉えるには複雑で多元的だ。原因と結果の分離、現象を計測し定量化すること、結果を一般化し定式化すること、いずれも容易ではない。

本書は、一見、これまでの本と同様に極めてシンプルな回答を提示しているかのように見える。しかし、これまでの類書と本書との差は、本書がその実、個々の読者の個別性を意識することを強く推奨していることにある。自分という社会システムの複雑な関係性を解きほぐすために、個別性を強く意識したアプローチを推奨する点に、本書の独自性がある。

本書の認知行動療法的な練習問題の、どこで読者が共感できるかが、本書の要諦となる。本書のメッセージは一環してシンプルだからだ。それは作業的な行為ではなく以下のことばに集約される。

本書の執筆を計画したのは、自己洞察と自分自身による発見を通してスリム体質になる方法をしってもらうためです。肥満が問題なのではありません。問題はその背後にある心理状態なのです。(p.23 自分に効く方法を探す) 

 本書の練習問題は、自分の心を見つめることを求める。だから、練習問題は簡単な問いに見えて、素直に答えることは容易ではない。誰だって、一番騙しておきたいのは、自分自身の心だからだ。本書が練習問題で求めるレベルは、これまでのダイエットの手法と比較してかならずしも簡単ではない。しかし本書を読み進める上で、そこをスキップしてはならない。自らの心の声を聞くことにこそ、新たな発見があるからだ。

本書の結論はシンプルだ。スリム体質の人のエミュレーターを起動すること。それが可能かどうかは自らの心とダンスが踊れるか。ダンス。自らの心とダンスを踊れるかが本書では問われている。