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okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

近所のブックオフで

近所のブックオフで、岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」を100円で買った。茨木のり子著。

冒頭、「はじめに」として、茨木のり子はこう書いている。

いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまt、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。

私は長いあいだ詩を書いてきました。ひとの詩もたくさんよんできました。そんな歳月のなかで、心の奥深くに沈み、ふくいくとした香気を保ち、私を幾重にも豊かにしつづけてくれた詩よ、出てこい! と呪文をかけますと、まっさきに浮かびあがってきたのが、この本でふれた詩たちなのです。 

美しいことばだなと思う。こんなことばが書けたらなと思う。それが100円。平和な時代をかみしめる。

最初の詩は、谷川俊太郎の「かなしみ」(詩集『二十億光年の孤独』)。

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
なにかとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまつたらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立つたら
僕は余計にかなしくなつてしまつた 

 少し進むと谷川俊太郎が四十代になって書いたという「芝生」(詩集『夜中に台所でぼくはきみにはなしかけたかった』)。

そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だからわたしは人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ 

そして、吉野弘「I was born」(詩集『消息』)。

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕霞の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生れ出ることの不思議に打たれていた。
女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時、僕は(生まれる)ということが まさしく(受身)である訳を ふと了解した。僕は興奮して父に話しかけた。
 - やっぱり I was bornなんだね -
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
 - I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね -
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
 - 蜻蛉という虫はね。生まれてからニ、三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね - 僕は父を見た。父は続けた。
 - 友人にその話をしたら 或日、これが蜻蛉の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るのに適しない。胃の腑を開いても入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて(卵)というと彼も肯いて答えた。(せつなげだね)。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落してすぐに死なれたのは -。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裏に灼きついたものがあった。
 - ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体 -。 

 長い引用になってしまった。吉野弘は好きなんだ。それにしてもよい本だなぁ。ほんの何ページかでも心が動く。どこかでかさりと音がするような気がする。

(2007年12月6日, mixi改)