okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

予感

「どうかご自愛ください」

「お体を大切にしてくださいね」と同じ意味だが優しい言葉だ。相手の周囲に対する細やかな気持ちをおもんぱかり、寄り添う心遣い。「自愛」という字義の通り、本来、自分を大切にすることはとても重要なことだし、丁寧な生き方だといえる。

吉野弘の詩"奈々子に"に、こんな一節がある。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。


自分があるとき
他人があり
世界がある。

 丁寧さの反語は乱暴。乱暴さの同義語は淋しさ。吉野弘の"日々を慰安が"の一節も反語として悲しい。

日々を慰安が
吹き荒れる。

慰安が
さみしい心の人に吹く。
さみしい心の人が枯れる。

明るい
機知に富んだ
クイズを
さびしい心の人が作る。

明るい
機知に富んだ
クイズを
さみしい心の人が解く。

 「さみしい」は「さびしい」と同意で、主に会話に使われるいくぶん古風な和語。「さびしい」がくだけた会話から文章まで幅広く使われる日常の基本的な和語であるのに対し、「さみしい」は人通りの少ない様子などをあらわすよりは孤独感について使われる傾向があるという。その違いは「さびしい」の用法のひとつの対義語が「にぎやか」であることにも由来する。いずれにせよ"日々を慰安が"で描かれる情景は丁寧さや誠実さとは異質なものだ。

東京や神奈川の街に雪はあまり降らない。吉野弘の"雪の日に”は誠実さを失うまいとする哀しい風景の予感だ。

-誠実に
そんなねがいを
どこから手に入れた。

それも すでに
欺くことでしかないのに。
それが不意にわかってしまった雪の
かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと
かさなっている。

雪は 一度 世界を包んでしまうと
そのあと 限りなく降りつづけなければならない。
純白をあとからあとからかさねてゆかないと
雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。

誠実が みずからを
どうしたら欺かないでいることが出来るか
それが もはや
みずからの手に負えなくなってしまったかのように
雪は今日も降っている。

雪の上に雪が
その上から雪が
たとえようのない重さで
ひたひたと かさねられてゆく。
かさなってゆく。

三篇の詩は、吉野弘:第二詩集「幻・方法」から。出版は1959年。今から50年以上前の予感だ。自分に対する備忘として。