私には何が見えているのか
何かを信じるということの前提には自分に見えているものへの信頼が暗黙的にある。錯視はその根本を揺らがせる。
たとえば、お面の裏側が普通の凸面の顔として見えてしまう「ホロウマスク錯視」(*1)。私には下記の映像を何回見ても裏面のチャップリンの顔が普通に顔として認識されてしまう。それ以外の見え方がどうしてもできない。「事実がこうです」と言われても、あるいは頭では理解していても、私にはそう見えないのだ。
Charlie Chaplin Optic Illusion
あるいは同じタイプの錯視の「首振りドラゴン」。トリックか合成映像としか思えない。それ以外の説明を下記の映像から認識することが私にはできない。そうでもしなければドラゴンの視線が追いかけてくる様子を自分に対して説明できない。
Gathering for Gardner Paper Dragon
「首振りドラゴンの作り方」(*2)の動画を見て、私は初めてその構造を理解することができた。それでもまだ自分が何を見ているのか信じられない。
錯視の映像はたくさんある。その多くは「自分にはそう思えたが、実際はそうではないらしい」と容易に納得できる。「見間違いしやすいもの」という説明が合理的に感じられる。そして、そのような錯視が自分の脳の機能的なものとは思うことができない。
JSTバーチャル科学館「マインド・ラボ」が素晴らしい。このサイトは自分に対する暗黙的な信頼を具体的に揺らがせてくれる。たとえば「SESSION 1:連続した世界という幻影」の「01 補完される盲点」の実験。盲点という視野の中に見えない領域があるという事実は入り口にすぎない。それ以上に脳は存在しない像を補完的に再構築するのだ。そういった驚きの体験をこのサイトは明確な形で与えてくれる。
私には何が見えているのか? 根本的な問いが立ち上がる。
(*1) 仮面の裏側が見える人・見えない人:「ホロウマスク錯視」研究https://goo.gl/oGNLuA
(*2) 首振りドラゴンの作りかた
http://sago.livedoor.biz/archives/51180274.html