okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

ミスキャスト

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亡くなってしまった古い友人がよく「ミスキャスト」という言葉を使っていた。その人が持つ本来の能力や個性に対して、その人が就くべきでない役職やポジションに就いてしまっている状態をさす。昨今のTVニュースを観ながらときどきその言葉を思い出す。

ミスキャストという言葉が描く世界観は、すべての管理職は無能であるとするピーターの法則とはまた異なったものである。

ピーターの法則は、ユーモアを交えて、現実世界を以下の3つの視点で切り取ったものだ。

1. 能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能な中間管理職になる。
2. 時が経つにつれて、人間はみな出世していく。無能な平構成員は、そのまま平構成員の地位に落ち着く。また、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は、無能な人間で埋め尽くされる。
3. その組織の仕事は、まだ出世の余地のある人間によって遂行される。(ピーターの法則 - Wikipediaより)

友人が言っていた「ミスキャスト」という言葉はそれとは違う。より暗いニュアンスだ。「能力」とは異なる要因によって、その人では不適切な「役割」に就いた状態を記述する言葉だ。

ミスキャストも、ミスキャストによって何かが上手く機能しなくなることも、現実世界ではよく起こる。それを止める有効な手段はない。友人がよく言っていた別の言葉は、「馬鹿の再生産」と「馬鹿は馬鹿を呼ぶ」だった。皮肉な表現形だが、現実には、ままそれは起きる。ミスキャストは連鎖するのだ。

我々にできることは多くない。自分がミスキャストの直接・間接の当事者になってしまう可能性に、どれだけ自覚的でいられるかぐらいだろう。ミスキャストによる被害を無くしたり最小にする努力も無駄だ。ミスキャストの被害を打ち消すことはできない。ミスキャストによる混乱であれば、被害を無くそうと努力も「ミスキャスト」の影響下での実施になる。マーフィーがいうように、予想される不幸な事態はすべて起こる。上手くいかないという事態も当然含まれる。被害は逆に拡大する。最終的にはなすすべもなく立ち尽くすことになる。

ミスキャストに自覚的であることは難しい。無自覚であることが「ミスキャスト」の構成要素の一部でもあるからだ。

かといって微妙な自覚もまた不幸な結果を呼びやすい。ミスキャストされてしまった本人については、ミスキャストに無自覚であることよりも、ミスキャストの自覚を歪んだコンプレックスという形で表出した場合に、周囲により不幸な事案を引き起こす可能性もある。

「ミスキャスト」者の歪んだコンプレックスは容易に他者への攻撃性へと変化する。結果生まれる怨嗟は淀んだ空気として世界に蔓延する。

ディストピアの「1984年」を「走れメロス」のように読みかえると言ってもよい。「走れメロス」の王の主観にたって「1984年」を読み解くでもよい。

ニュースピークスの本来的な意図は「ミスキャスト」者のコンプレックスをかき消すことにある。教条主義も実に便利だ。迎合する行為にも合理的なメリットもある。「走れメロス」の王や「1984年」の世界を支えていた周囲のモチベーションは、かならずしも「恐怖」だけではない。

ミスキャストは非合理な世界を象徴する。ミスキャストの非合理性は当事者のコンプレックスと相まって非合理的なより不幸な事象を引き起こす。そしてそれを持続可能とするのは周囲の合理的な行為である。

今日は天気が悪い。その上奇妙なニュースばかりを見続ければ気持ちも当然暗くなる。二重思考はかく生み出されたのではないかと思う。

「1984年」を久しぶりに読み直してみようかと思う。