タイトルの美しさ
子供の頃は、長いタイトルの書名や章の名前が好きではなかった。内容を簡潔に表現していないような気がしたのだ。
それがいつの頃からだろう・・・。長い表題というものが嫌いでなくなった。むしろ、長い表題に、『本当には語りつくせない物語が内包されている』ような気さえするようになった。
たとえば、『愛のかたち』という短編集に収録されているグロリア・サワイの短編のタイトルは『私がイエス様とポーチに座っていると風が吹いてキモノの胸元が開き、イエス様が私の乳房をご覧になった日のこと』だ。
タイトルに限らずだが、美しさのひとつの基準は、それが非可換であること。他の何者にも置き換えられない唯一性があること。この短編のタイトルにはそれがあると思う。
あるいは、たとえば、ピノキオの章の名前。
How it happened that Mastro Cherry, carpenter, found a piece of wood that wept and laughed like a child
あるいは、同じく、ピノキオの章の名前。
Fire Eater gives Pinocchio five gold pieces for his father, Geppetto; but the Marionette meets a Fox and a Cat and follows them
子供の頃にはまったく理解できなかったこの冗長性に、もしかしたら世の中を表現する何か、美しさと呼んでもよいと思うのだけれど、があるんじゃないかという気がいまはする。
確か『兵士シュベイクの冒険』(善良なる兵士シュヴェイク、および奇妙な短編集)も、それぞれの章に付けられたタイトルは長かったよなぁと思う。残念なことにWebで検索してみたがそれは確認できなかった。
(2006年1月25日, mixi 改)