優しい眼差し: 伊藤比呂美 『読み解き「般若心経」』
同時代の作家で一人あげるとしたら、きっと私は伊藤比呂美をあげる。同時代とは不思議な言葉だ。作品だけを客観的に受け止めることはできず、生きた時代というものを暗黙のうちに共有してしまっているのだから。
本章の最初の章のタイトルは、「読み解き「懺悔文」 女がひとり、海千山千になるまで」。
ここでいう「女」は、明治でも、大正でもなく、そして全共闘世代ともいうべきベビーブーマー世代でもなく、その子どもたちでもなく、その空隙のような時代の我々である。
ギシギシが立っていた。スイバが立っていた。花(紫)が割いていた。菜の花が実をつけていた。そして枯れていた。ガマが芽生えていた。アザミがすっくと立っていた。クズが伸び、ヤブガラシが伸び、サイバンモロコシが伸びていた。アレチハナガサが咲き、花(黄)が咲き、花(ピンク)が咲き、花(紫)が咲いていた。キジバトが鳴いた。るーるるーるるー。ふーふふーふふー。ことばでなんとあらわしたらいいのか、子どもの頃から五十年考えて、まだ確定していない。ムクドリが群れていた。スズメが枯草をくわえた。川の中の石の上にカメがいた。水が流れた。鯉がはねた。
ハイコンテクストな風景。高度成長時代という殺風景な時代に我々は子ども時代を暮らしていた。
懺悔をざんげと読むのは、近世以降、と辞書に書いてあった。懺悔をざんげと読むのは、キリスト教の影響、と別の辞書に書いてあった。ここでは「さんげ」と読む。懺とは、心を小さく切り刻むこと。つらいのをがまんして心を切り刻んでいくこと、と辞書に書いてあった。
昔聞いた落語で、どこかの放蕩者が、おてんとうさまと米の飯はついてまわるんだといって飛び出した。いつの世にも、どこにも、いたのである、馬鹿が。今は私があの身の上だ。
いまはわたしがあのみのうえだ。
伊藤比呂美の言葉は若い頃と同じように今もいじいじと痛い。そして以前より少しだけ、自分の眼差しも優しくなっていた。