okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

郷愁ではない創造すべき未来が描かれている: 小松左京/谷甲州 『日本沈没 第二部』

日本は海の中に沈んでしまった。生き残った日本人も国土を失い、世界中に散った。物語は25年後の日本人たちを描いている。

昭和48年に出版された「日本沈没」は、「第一部 完」という言葉で終わっている。当時、誰もが「その後の日本人は一体どうなるのだろう」と強く思ったことだろう。

日本沈没 第一部」は、昭和39年、東京オリンピックの年に執筆が開始されたという。昭和31年、経済白書は「もはや戦後ではない」と掲げ、昭和34年、東京オリンピックの開催が決まった。昭和45年には大阪万博が開催される。日本という国が、そしてそこに住む日本人が、高度経済成長の正しさと、「人類の進歩と調和」を、それこそ素朴に信じることが出来た時代だったといえる。

その日本が沈んでしまう。

荒唐無稽ともいえるその設定は、SFの真骨頂であると同時に、作者の日本人に対する思いと願いが描かれていた。そこには「宗教としての日本人とも言える世界観」が描かれていた。

「第二部」にも、色濃く、「宗教としての日本人とも言える世界観」が踏襲されている。「日本人であるわれわれとは一体何者なのか」という問いの著者たちなりの答えが描かれている。その世界観に、よいでも悪いでもなく、正しいでも正しくないでもなく、心が動かされてしまう。

郷愁ではない、創造すべき懐かしい未来が、そこには描かれている。