okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

ラガードであること

自分の中にある多様性について考える。たとえば「新しもの好き」としての自分について。

確かに「ちょっと変わったこと」「新しいこと」が好きだ。『モテキ』の中で小宮山夏樹は「自分の思ってもいない方向に進む人生が好きだ」と言った。そういう気持ちに共感する。いつもとは違う路地、いつもとは違う道、いつもとは違う方向を常に心のどこかで探している。

人生のキャリア形成についてもそうだ。人は概ね4タイプのキャリア形成があるという。1つ目は階段を一歩ずつ上っていく銀行マンのようなキャリア形成のタイプ。多くのサラリーマン人生はこのタイプといえる。2つ目は早い段階で一定水準の技量を獲得し、そこからゆっくりとキャリアを延ばしていくタイプ。医者や弁護士のような専門職型のキャリア形成タイプ。3つ目が断続的な短いキャリア時期と空白期間を繰り返すタイプ。特定のキャリアを積み上げるというよりは仕事は人生の一部でしかないと割り切ったイメージ。4つ目がまったく異なる種類の仕事をする中でキャリアを積み重ねていくタイプ。雑誌の編集者のようなイメージ。どれがよいというわけではなく、どれがいけないというわけでもない。ただそういう風に分類して考えることができるという話だ。

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自分は明らかに4つ目のタイプだ。ノコギリ波型の人生。それは「いつもとは違う路地、いつもとは違う道、いつもとは違う方向を常に心のどこかで探している」自分にはあっている。

だからといって、生活のすべてのことに対して常に「新しいもの」を追い求めるのかというとそんなことはない。「新しいこと」を追い求めるということは、多大なエネルギーの投入と無駄と残念な結果を受容することが必要だからだ。生活のすべてにそれをしていては身が持たない。だから人は、自分を含め、どこかに特化して「新しいこと」をする。それは音楽だったり、趣味の釣りだったり、旨いレストランを探すことだったりと様々だと思う。たまたま私は仕事に関係するところでそうだということにすぎない。

だから自分がエネルギーを投入する気にならないことについては極端に保守的になる。どうでもいいからだ。食事でいえば毎日3食牛丼でも3年くらいなら飽きないでいられる。イノベーター理論の用語でいえばラガード。革新的商品やサービスを最後になって受容するか、最後まで受容しない人。市場全体で最も保守的とされる採用遅滞者。それでよいのだ。

たとえば、美味しい食事に興味がないわけではないが、毎日新しいレストランを探して食べ歩くことはしない。誰かが見つけてくれたもの、安定したもので十分なのだ。飲みに行く店も食事の場所も「ここでよい」となればそれで固定化して変化させようと思わない。

ラガードであること、市場全体で最も保守的とされる採用遅滞者であることは、まま、否定的な意味合いで考えられることが多いかもしれない。しかし、自分の中を見つめれば、「新しいことを求める自分」と「ラガードであること」は矛盾しない。逆に本当に「新しいこと」を探そうと思えば、生活のかなりの部分で「ラガード」であることが必要だと思う。自分の「新しいこと」を探すエネルギー量は有限であり、すべてのことにそれを投入することはできない。

自分の中の多様性、特に「ラガード」であることを、最近とみに好きになりつつある。