okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

大事なのは想像力です。: 重松清 『ゼツメツ少年』

「センセイ、僕たちを助けてください」。そんな手紙をセンセイがもらったところから小説は始まる。手紙はタケシという少年からのものだ。少年は「僕たちはゼツメツしてしまいます」という。そんなゼツメツしてしまうかもしれない2人の少年と1人の少女の小さな冒険の旅を中心に物語は進んでいく。

「大事なのは想像力です」、そう少年はいう。だからこの小説を読み進めていくには想像力が必要だ。私たちが出会った人、出会わなかった人、出会ったかもしれない人、もう出会えない人に対して。

家出をすることにした少年たちは、その昔、陸地から海へと帰っていったクジラの先祖に例えて、「イエデクジラ」と自分たちのことを呼ぶ。彼らは、クジラの先祖がどのような気持ちで「テーチス海の岸辺」から海を眺めていたかを想像する。クジラの先祖たちが「陸上では自分たちはゼツメツしてしまうかもしれない」と考え海に戻っていったのだと彼らは想像する。

センセイは小説家で、不思議なことに少年たちはセンセイの小説の登場人物たちにも出会う。センセイの小説の中の人たちとの交流を通し、少年たちはすこしずつ心を開いていく。そして典型的なジュブナイルの様式を取りながら、物語は驚きの展開をしていく。

「大事なのは想像力です」。本を閉じたたとき、読者は確かにタケシの言うとおりだと思えることだろう。

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小説を読んで涙が止まらなくなることはある。しかし、慟哭するように、声をだして泣いてしまうような経験はおそらくほとんどないだろう。

この小説はすべての人に向けられてはいないかもしれない。想像力によってのみ救われることがあると思えるかどうかで、読者としての体験は異なるだろう。しかし、人に与えられた能力の中で想像力はもっとも大切なもののひとつだ。想像力や希望はすべての人に平等にある。そう考えれば、この小説はすべての人にとっての希望へとつながる。

もし読者が少年たちとともに「テーチス海の岸辺」に立つならば、読者は2度とその光景を忘れることができなくなるだろう。テーチス海は自分の中にひろがっている。

大事なのは想像力なのだ。この小説は尋ねてくる。人はどれほど想像力の翼を拡げるられるのかと。表面的な、おためごかしではない想像力とは、どのようなものなのかと。

希望とは想像力だ。そのことを最初から最後までこの小説は示している。なぜ"ゼツメツ"はカタカナなのか。それは読者にゼツメツの意味を想像してほしいからだ。我々もまた「テーチス海の岸辺」に立つものかもしれない。もし我々が「テーチス海の岸辺」に立つものであれば、我々もまた「想像してほしい」と望むだろう。

この小説を読むとき、人は「あのとき」に帰る。「あのとき」は人によって違う。しかし、おそらく誰にでも「あのとき」といえる瞬間は確かにある。それがこの物語の普遍性だ。小説を読み進めるにしたがい、自分の中の「あのとき」が、まるで昨日のことのように蘇ってくる。それは苦しいことでもある。しかし、それは希望へと変えることが可能だ。ゆっくりと真実とは何かについての思いを深め、想像することで、それは希望へとつながる。

この小説を読み終えたとき、「崖の上のポニョ」の幻想性を改めて了解できる。クジラの先祖たちが帰っていった「テーチス海」と「崖の上のポニョ」の海はつながっている。「大事なのは想像力」だ。