okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

媒体としての性質

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媒体には性質があると私は思っている。

たとえばFacebookは、深い”対話"や"議論"に向いた媒体ではなく、"提示"に向いた媒体だと思う。だから私は、Facebookで他の人のタイムラインに直接コメントを書くよりも、その人の"提示"をシェアをし、自分のタイムライン上で私が考えたり感じたことを述べるようにしている。

他の人のタイムラインにコメントすることは、その人の知人たちに向けて書くことに相当する。それはかなり勇気が必要なことだ。それが特定の「主張」にもとづくものであればなおさらだと思う。私はときにそれを乱暴に感じる。

もちろん、感想やちょっとしたコメントが嬉しくないはずがない。しかし、自分のタイムライン上で「主張」を展開されると、どうしたものかなと困惑を感じる。

逆に私は、私のFacebook上の知人がそれぞれのタイムラインで書いていることを、あたかも街の音をベンチに座って聴くように、静かにみていることが多いように思う。絶対とは言い切れないが、「意見」的なものについても、概ねイイネをするかしないか。

それでも、うっかり自分が「感想」を超えた少し強い「主張」のコメントをしてしまったときは、「なんだか困惑させただろうな」と、その後、少し落ち込む。

さまざまな人たちのタイムラインには、私とは異なる「意見」や「考え方」はある。しかしそれでよいと思うし、それがよいと思う。

そんな「意見」や「考え方」は、「そういう考え方・感じ方もあるんだ」と私に新たな気づきを与えてくれる。考えるきっかけとなる。私の中で内発的な"対話"が起こる。

そんな風に、私はFacebookを、基本的に"提示"に向いた媒体だと思っている。