多摩川を歩く(III) 2015.05.03
多摩川遡行3日目。多摩川沿いを是政橋から羽村取水堰までの22 kmを歩く。
是政橋に近いJR南多摩駅からのスタート、是政橋より多摩川上流を望む。河口よりおよそ32km地点。
多摩川左岸を進み、まもなく南武線多摩川橋梁。是政橋から昭島の間はちょっと土手側に降りると音が違う。
土手と川の間の小径。ニセアカシアが青空に映える。外来種としての影響という話もあるけれど、とりあえずきれいに咲いている。
京王線橋梁を過ぎ、四谷橋へ。
石田橋下で多摩川左岸より右岸を眺める。気持ちのよい岸部。
多摩川左岸、海から43km地点。遠方の多摩の山が少しづつ近づいてくる。
八高線橋梁を過ぎると、川は丘陵地帯へと差し掛かる。
多摩川横断水道橋(多摩丘陵幹線)近く、おじさんが二人、のんびりと釣りをしている。
ゴールが近づいてくる。
多摩川を歩く(II) 2015.04.30
多摩川遡行2日目。二子橋から是昌橋までの14 kmを歩く。右岸河口より約18km地点にあたる二子玉川からのスタート。
多摩川左岸、兵庫島。新田義貞の子、義興か足利基氏を討ち、新田家再興を目指していた途上、敵の策略で上流の稲城矢口渡しで討たれてしまう。兵庫島の由来は、義興の家臣の一人、由良兵庫助がここに流れ着いたからという。
多摩川左岸、二子玉川遠景。土手の下の小径にニセアカシアが咲いている。
宿河原堰堤の過ぎ、小田急登戸近くの多摩川水道橋、二ヶ領上河原堰堤へ至る。
多摩川左岸、海から29 km地点の遠景。多摩川原橋が見える。
この日のゴール、是政橋が見えてくる。遠くには多摩丘陵。
是政橋と是政橋からみた多摩川下流側風景。海から32km。
多摩川を歩く(I) 2015.04.26
多摩川沿いを、多摩川右岸「河口」から二子橋まで歩く。多摩川右岸「河口」から二子橋まで約18km。
多摩川右岸「河口」は、川崎大師の先の京急小島新田駅から少しいったところにある。実際にはこの先にまだ埋め立て地が続いている。現在では地図では浮島公園のところが河口のようにみえるはずだ。
多摩川河口。右岸(川崎側)。浮島公園がこの先にある。
この日は満潮で潮干狩りをする人の姿はない。時間帯によってシジミを採る人たちがいる。チゴガニの巣がそこここにある。対岸には羽田空港。
太子橋まで多摩川右岸を歩き、大師橋で右岸から左岸へと渡る。川の右岸・左岸は上流から海側をみたときの左右を言う。渡しの名残か、羽田街道側には寺や神社がある。写真は大師橋近くの羽田神社と六郷橋近くの止め神社。
六郷橋からは野球のグラウンドなど街の川の風情が続く。川幅も広い。グラウンドから離れた場所では人の声も遠い。盛んに魚が跳ねている。
キャノンの本社近くのガス橋を過ぎ、小杉のマンション群が見えてくる。ガス橋という名前が好きだ。
丸子橋近くの多摩川浅間大社へ立ち寄る。
丸子橋から二子橋へ。木陰の小径を抜け、二子玉川駅南側再開発域へと至る。
この日の終着点は二子橋。
ちっちゃいもの倶楽部
私は「ちっちゃいもの倶楽部」に所属している。もちろん、そんな倶楽部は現実には存在しない。
子どもが小学生の頃、学校で育てている稲を「夏休みだから」ということで持ち帰ってきた。普段の生活で稲を間近に眺めることはない。ある朝、ふと思いついて写真を撮ってみる。
イネ
花が咲いていた。その花がオシベなのかメシベなのかはよくわからない。
イネの花
そういえば、散歩の途中でも、よく写真を撮りながら歩く。
ファインダーを覗かずに、目の子で撮ってみる。何枚かに一枚は当たる。
その他、いろいろ手当り次第。
ニラ
そんな日に多摩川に出れば、空が広くて気持ちがいい。ちょっと暑く日はそして最後にヘロヘロになる。
多摩川越しにゴジラが眺めた風景もこんなだったのだろうかと妄想する。もちろん、たぶん違う。
(2008年08月31日, mixi 改)
ひっつきむし
多摩川を少し歩くと子どもの頃には見かけた覚えのない「ひっつきむし」を見つけることができる。コセンダングサではないかと思う。
ふと、MYKさんと電話で話したことを思い出す。MYKさんはそのとき、
今の世の中は、みんなのっぺりしていると思わないか?
と言っていた。そういえばMYKさんは20年以上前から、
どうも俺はあの癒しって言葉は胡散臭いと思う。
とも言っていた。いずれのときも私は「そんなことはないんじゃない」と軽く聞き流してしまった。今になってみると「ああ、あのときMYKさんが言っていたことは正しかったなぁ」と思う。そのMYKさんはもういない。また電話で話がしたいなと思う。
会社からの帰りがけに、建物の入り口のホールの椅子に大学に移籍するAWNさんが座っていたときのことをふと思い出す。「ひさしぶりですね」と挨拶をした。入社してまもない頃、当時のAWNさんは、ずいぶんとんがっていた。きつい皮肉を言われたりもした。
岡田君さぁ、研究ってのは装置さえあればできるってもんじゃないだろ?
振り返ってみるとAWNさんが言っていたことは正しかった。研究者というのはAWNさんたちのような人をいうのだと今は思う。
そういえば今はもう退職されたHSOさんがこんなことを話してくれたことがある。
岡田君。私はね、本当に頭がよい人というのは、最後まで振り切って考えることができる人だと思うんだ。
MYKさんにせよ、AWNさんにせよ、HSOさんにせよ、最近はそういう人たちが少なくなってしまった。それはそれで少し哀しい気がする。
(2007年11月27日, mixi改)
落葉松の林の中で
富士山の山梨側、北口本宮冨士浅間神社の裏手から富士吉田口登山道ははじまる。その「中の茶屋」近くにフジザクラの群生地がある。群生地は新緑の落葉松の林の中にある。
フジザクラはそれほど背が高くない。花は少しうつむきがちに咲き、小ぶりで可憐だ。ちょうど5月の連休の頃に咲いている。美しい新緑の落葉松の林を歩くと本当にコノハナサクヤヒメはいたのかもしれないと思う。
落葉松の林は静かだ。落葉松の林は心に静かに沁みていく。
落葉松(カラマツ)の 秋の雨に
わたしの手が 濡れる
落葉松の 夜の雨に
わたしの心が 濡れる落葉松の 陽のある雨に
わたしの思い出が 濡れる
落葉松の 小鳥の雨に
わたしの 乾いた
眼が濡れる落葉松の 秋の雨に
わたしの手が 濡れる
落葉松の 夜の雨に
わたしの心が 濡れる-『落葉松』野上彰作詞、小林秀雄作曲-
昔、ドロシーがよく歌っていた歌だ。「ピアノの伴奏がゴージャスだから上手な伴奏がないとねぇ」なんてわがままをよく言っていた。「歌ってよ」と頼むと「え~?」と言いながら小さな声で歌ってくれた。
(2006年5月1日, mixi改)