okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

私には何が見えているのか

何かを信じるということの前提には自分に見えているものへの信頼が暗黙的にある。錯視はその根本を揺らがせる。

たとえば、お面の裏側が普通の凸面の顔として見えてしまう「ホロウマスク錯視」(*1)。私には下記の映像を何回見ても裏面のチャップリンの顔が普通に顔として認識されてしまう。それ以外の見え方がどうしてもできない。「事実がこうです」と言われても、あるいは頭では理解していても、私にはそう見えないのだ。


Charlie Chaplin Optic Illusion

あるいは同じタイプの錯視の「首振りドラゴン」。トリックか合成映像としか思えない。それ以外の説明を下記の映像から認識することが私にはできない。そうでもしなければドラゴンの視線が追いかけてくる様子を自分に対して説明できない。


Gathering for Gardner Paper Dragon

「首振りドラゴンの作り方」(*2)の動画を見て、私は初めてその構造を理解することができた。それでもまだ自分が何を見ているのか信じられない。

首振り 振り向き ドラゴン 作り方

錯視の映像はたくさんある。その多くは「自分にはそう思えたが、実際はそうではないらしい」と容易に納得できる。「見間違いしやすいもの」という説明が合理的に感じられる。そして、そのような錯視が自分の脳の機能的なものとは思うことができない。


Как наши глаза нас обманывают

JSTバーチャル科学館「マインド・ラボ」が素晴らしい。このサイトは自分に対する暗黙的な信頼を具体的に揺らがせてくれる。たとえば「SESSION 1:連続した世界という幻影」の「01 補完される盲点」の実験。盲点という視野の中に見えない領域があるという事実は入り口にすぎない。それ以上に脳は存在しない像を補完的に再構築するのだ。そういった驚きの体験をこのサイトは明確な形で与えてくれる。

JSTバーチャル科学館|マインド・ラボ

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私には何が見えているのか? 根本的な問いが立ち上がる。


(*1) 仮面の裏側が見える人・見えない人:「ホロウマスク錯視」研究https://goo.gl/oGNLuA
(*2) 首振りドラゴンの作りかた
http://sago.livedoor.biz/archives/51180274.html

ドーハ経由

アムステルダムからロンドン・ヒースロー空港への飛行機が強風でキャンセル。確かにアムステルダムも風が強くて、発着が遅れていた便もあったが、ロンドンからのブリティッシュ・エアウェイは連続でキャンセルされていた。イギリス上空の大型の低気圧のせいで、ロンドンからの便が来られなくなったのかもしれない。

いずれにせよ、ヒースロー経由で羽田に帰ることができなくなった。結局、ドーハ経由で成田に飛ぶことに。トランスファーとはいえ、初中東ということになる。しかし、高校時代、世界史も世界地理も興味がなく、恥ずかしいが、そもそもドーハがどこにあって国がどこなのかがわからない。ドーハの悲劇という言葉だけが思い出される。しかし、サッカーにも興味がなく、あのときも「へ~、そうなの」と淡々とスルーしていた。

それでは埒があかないのでネットを検索する。そうか、ドーハはカタールの首都で、カタールはペルシャ湾岸の国なのか。それにしても、ペルシャ湾にこんな出っ張りがあったのか。ペルシャ湾の西側はサウジアラビアとアラブ首長国連邦だけじゃないのか。

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さて、成田に着くのは何時なのか? ろくに確認もせず「ドーハ経由で成田だけどいいか?」と尋ねられてジャパニーズ・スマイルで「オッケー、オッケー」と言ってしまったのが悔やまれる。航空券をよく見るとドーハでの乗換便は「2時20分にゲートに来い、飛行機は3時20分に飛ぶ」とある。アムステルダム発は16時45分、南回りになるから時間はかかるだろうと思っていたけれど夜中に初中東。微妙に気持ちが沈む。

とはいえ、袖振り合うも多生の縁。Wikipediaによると、日本の天然ガス輸入量ではカタールからが第4位だという。天然ガスとは縁がないからこそ、確かにこんなことでもなければ行かない国かもしれない。

アムステルダムからドーハまでは約6時間。やっぱり感はあるものの、早朝ともいえる真夜中の2時、3時も、時差を考えれば体内時計上はなんとかなりそうな気もしてくる。カタール航空も快適。映画も日本語が用意されており、まったく問題がない。食事も美味しい。

ドーハ着。ハマド空港(新ドーハ国際空港)は思いのほか賑わっている。誰もいない空港の可能性も予想していたので安心する。新しい空港なので、当たり前のことだがきれいだ。写真には撮らなかったが、この2階左右の通路の内側をスケルトン性の強い構内線(2両)が走っていて、それが未来的でかなり格好良い。

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ドーハからの便は、カタール航空・日本航空のコードシェア便はほぼ満席状態。成田までの飛行時間は約9時間。機内で寝ているべきか起きているべきか、すごく迷う。結局、前の日早起きをしてしまって眠かったのを幸いに、機内では前半寝て後半起きているパターンにする。

成田では自宅方面に向かう成田エクスプレスの最終に乗ることが出来、る。おかげで、予定の飛行機の場合に比べると4時間くらい余計にかかったとはいえ、21時ヒースロー経由羽田で予定して時刻よりは約4時間遅れで無事帰宅する。

学びの機会

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年末に地面とストリートファイトをした。そして惜しくも敗れた。左上腕骨頚を骨折。1ヶ月が経過し、関節可動域を増やすためのリハビリが始まった。

新しいことが起きると学びは多い。

上腕骨頚。骨頚を「こっけい」と読むことを知った。頚とは「頭を支える部分、また、物のくびに相当する部分。腕の肩に接する丸い部分が骨頭、それを支える部分が頚ということなのだろう。

ネットで検索すると、腕骨頸部骨折は、高齢者が転倒したときに手や肘からの外力によるものが大多数という。身をもって高齢の方の体験をしているともいえる。

骨折は大したことはなかったが、それでも当初は身体の向きを変えるだけでも痛みが走った。つくづく身体はさまざまな部位が連携しているのだと実感した。

寝ている状態から起きようとすると、ちょっとしたことで左肩に力がかかり痛む。上向けの状態から右に寝返りを打とうとすると重力で左肩が引かれ痛む。

痛みというシグナルによって、身体というものは四肢がばらばらに動くのではなく繋がりながらバランスを取りながら動いていると知った。

「右への寝返りをするときに左肩が痛みます」と理学療法士の方に相談した。「左手首を右手で軽く引くようにしながら寝返りを打つといいかもしれませんね」とアドバイスをもらった。

試してみると確かにほとんど痛みを感じずに寝返りができる。重力による左肩への負荷が、右手で引くことで軽減される。生まれて初めて身体をコントロールする意味と意義を感じた。

誰しも不得意なことはしたくない。子どものころに運動が苦手であれば、運動を避けて生きられるように人生を特化させていく。特化することで不快な思いをする機会が減り、さらに人生は特化されていく。

こうして私は身体というものからできるだけ離れて生きることをよしとするようになった。そしてそれは人生の心の負荷を軽減してくれた。もちろんそれは身体に関する学びの機会を放棄することだったが私はそれでよいと思って生きてきた。

左上腕骨頚の骨折とそれに続くリハビリは新たな学びの機会を与えてくれている。

心がざわつくとき

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3Dプリンターって面白いなぁと思う。

最初に話を聞いたのはいつ頃だったろうか。私の場合は、たぶん2005年くらいにスイス連邦工科大の経営学の教授から「インクジェットの未来系としてステーキをプリントアウトする可能性について検討しているグループがいる」という話を聞いたときだと思う。そのときはまさかそれが現実味を帯びた話にだんだんとなってくるとは思ってもみなかった。

へ~と思うと同時に半分冗談だと思っていたのだ。それがどんな可能性につながっているのかについて深く考えることができなかった自分がいる。

技術が進めば様々な可能性が拡がる。デルフト工科大を訪問したときに、3Dで油絵の具の微妙なタッチまでが印刷されたレンブラントの「ユダヤの花嫁(イサクとリベカ)」のレプリカを見たとき、自分の想像力の足りなさを痛感した。


Océ 3-D Fine Art Reproductions

デルフト工科大の取り組みを知る以前は、自分は3Dプリンターとは何かを造形するものと捉えていた。デルフト工科大のアプローチはそれとは異なる。深さ方向に解像度の高い3Dスキャナーを開発し、絵画のテクスチャーの再現、その質感の再現を目指したものだ。少し極論すれば、それは造形ではなく、感覚の再現を目指したものだ。3Dプリンターのまったく異なる方向への展開ともいえる。


骨格や臓器をそのまま3Dプリントするという話はそれに比べればよく聞く話かもしれない。しかし、実際にCTスキャンデータから3Dプリントアウトされるアカハライモリの動画を見ると、そしてその3Dデータは今後CT生物図鑑として公開が予定されているという話を聞くと、最初に3Dプリンターの話を聞いたときと同様、自分がまったくこれまでとは違う可能性を見落としているかもしれないとも思えてくる。

 

自分の中で、従来のアプローチとの差分がうまく言葉にできているような気はまだしない。ひとつはCTスキャンで生きているイモリからのデータを採取したことから、ある特定の時間軸のなかで切り取られた「生きた存在」のスナップショットとして心がざわついたのだとは思う。それは「生物図鑑」の概念をまったく変える、たとえば骨格だけではあっても「生物図鑑:私」が可能なことを示唆するからだ。

しかし、そこにはまだ言葉にできない可能性が潜んでいるのではないか。そんな風に私のゴーストは囁く。

技術のわかりやすさ

イントラロックス社のアクティベィテッドローラーベルト(Activated Roller Belt)技術のデモ映像をみた。

従来のただ流れるだけのベルトコンベアーとは違い、荷物はベルトの上を流れながら、まるで生きているかのように、一列になり、向きを変え、中央に集められたり、横に並んだりしていく。初めてみたとき、思わず「なんだこれは・・・」と呟いてしまった。

物が生きているかのように動き回る? 自動で仕分けをするコンベアが登場。... - Timeline - タイムライン | Facebook

世間ではAIがすごいと言っている。きっと凄いのだろう。しかし、上記のアクティベィテッドローラーベルトのわかりやすさもすごくはないだろうか。自動化とその結果がこれ以上ないという形で目に見えるすごさだ。

これを使うと、従来の『A』が不要になり『B』が簡単に実現できます。その結果『C』が可能となり『D』になります

営業マンが工場の現場責任者にこんな説明をしている様子が目に浮かぶ。技術のわかりやすさというのはこんな風なものなのかもしれないと思わせる本当によくできた映像だと思う。

cf: ARB自動化装置

居残り佐平次

「やっぱり人としての理想は居残り佐平次だよね」と常日頃思っている。

だから打合せなどで「居残り佐平次」と言って通じないと、それはそれでちょっと悲しいもんだ。佐平次とは「図々しい人間」を意味する隠語だという。フランキー堺が演じた幕末太陽傳の主人公も原型は居残り佐平次だ。

でも、それはそれ。

"江戸っ子は五月の鯉の吹流し、口先ばかりではらわたはなし"。啖呵も、調子のよさも、なんの戦略性もない、思いつき。行き当たりばったりの出鱈目さ。"でへへ、うれしくなっちゃうぜ"という気楽さ、明るい迷惑、底のなさ。そんな性格を地で行くような佐平次の中身のなさに憧れる。

何年か前に神奈川県民ホールで聞いた談春の佐平次も明るくってよかったなぁ。

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YouTubeでは志ん朝の佐平次も聴ける。中盤過ぎてからのこのいい加減さ。嬉しくなる。古今亭志ん朝 (三代目) Shincho Kokintei 居残り佐平次 落語 Rakugo 



談志もいいなぁ。立川談志 Danshi Tatekawa ずっこけ 居残り佐平次 落語 Rakugo

 

 

ああ、サウイフモノニ ワタシハナリタイ。

心理的な近接性

「彼には彼の時間がある」と思いつつ、子どもが乗った飛行機を夫婦で眺めるなんて、つくづく自分たちは親ばかだなと思う。

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それにしても、航空機の現在位置をほぼリアルタイムで表示するWebサービス「Flightradar24」はすごい。まるで自分たちもその飛行機に乗って空を飛んでいるような錯覚を与えてくれる。

「いまシベリアの上空だね」
「もうすぐバルト3国のエストニアの上だよ」
「もうすぐデンマークだ」
「あ、飛行場が見えてきた」 

親ばかな会話が続く。結局、着陸する瞬間まで、しかも着陸シーンは3D画像の設定にして見てしまった。

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VR(Virtual Reality : バーチャルリアリティ)とは、結局、「どれだけ自分がそこにいるような感覚に浸れるか」ということに尽きる。工学的には五感を含む感覚をどれだけ適切に刺激するかとか、視野の中でどれくらいの範囲に映像が広がっているか、自分の身体の動きに合わせて何が起こるかというフィードバック感などになるだろう。しかし、それだけではない。自分が見たり聞いたり触れたりしている世界に自分がどれだけ親近さを感じるか、心理的な近接性(proximity)を感じるかによると思う。

たとえばテキストベースのチャットであっても、チャット画面の向こう側にリアルな「人」を感じることができれば人は没入できる。心理的な近接性から、まるで実際の会話をしているように感じることができる。画面の向こうの人と同じ時間、同じ空間を共有しているかのように感じる。

それは読書体験にも似ている。登場人物がすぐそこにおり、風景や出来事の中に自分もいるように思える感覚にも近い。

「Flightradar24」は、地球というスケールで、いまこの瞬間に何が起こっているかを垣間見せてくれる。そして、その飛行機の一つに自分の知り合いが乗っていると思えば、それは世界と自分とがきわめてリアルにつながっていることを肌感覚として伝えてくれるものとなる。あるいは、それぞれの飛行機のアイコンは単なる絵ではなく、リアルに誰かの人生や物語につながっているものだと。

単なる親ばかではなく。