トカトントン
I先生と車の中でどうでもいい話ばかりしていたら,同乗者のTさんから「二人の話はあんまりどうでもいいから,どうでもいい倶楽部ですね」と認定されてしまう。
そのまま,どうでもいい倶楽部メンバーとして話を続けていたら、「トカトントン」の話になる。なんでそうなったのかは、どうでもいい倶楽部の会話だったので、思い出せない。
「トカトントン」を読んでいなかったし,短くてすぐに読めそうだったので、へ~と思って、青空文庫でダウンロードする。
太宰治「トカトントン」。
読み終わったのはいいが、最後の「ゲヘナ」がわからない。どうでもいい倶楽部のI先生に聞くと、「地獄じゃね」との返事。どうでもいい倶楽部なのに教養あるなぁと感心する。
「それにしても、トカトントン、トカトントン、トカトントントンと連続してなったらお囃子みたいだね」と、引き続き、どうでもいい話をする。
(2013年9月18日, mixi 改)
PS 実際には「ゲヘナ」とは地獄ではなく「永遠の滅びの象徴」とのこと。
フローとしての日記
子どもの頃、日記を書いていたことがある。大学の頃もときどき思い出したように書いていた。mixiでの日記は2005年11月から2013年12月まで約8年ほど書いた。
mixiでの日記を始める前は、写真日記を付けていた。気が向いたときに撮った写真を家のプリンターで小さく印刷して、それをノートに貼り絵日記のようにしていた。子どもが小さかった頃だ。時々、ドロシーがその日記にときどきなにかよくわからない感想を書き込んでいた。
日記といっても毎日は書かない。それでいいのだということを高校生の頃に思いついた。その日から日記は自分に対する義務ではなくなった。
日記には楽しいことだけを書いてもよいのだということもその頃に思いついた。ブルーノ・ワルターの「主題と変奏」(*1)という回想録を読んでいたときのことだ。ワルターは回想録の中で、「若い頃は日記に毎日の反省を書いていたが、それは誰にとっても、特に自分にとって、 まったく益がないことに気づいた」という主旨のことを書いていた。私は「なるほど」と思い、以来、日記に反省のようなものを書くことを止めた。
気楽なことしか書かなくなって解ったことは、それでまったく問題がないということだ。当たり前のことだが大切だ。それまでの私は子どもながらに『日記』に対して先入観を持ち、『日記』を難しく考えていたのだと思う。自分で自分に縛られていたということになる。
最近思うことは、日記とはフローだなということだ。
日記は保管されるべき記録(ストック)ではなく、毎日の生活の断面をそっと切り取っただけのもの。方丈記を持ち出すまでもなく、我々の生活は流れている。断面のようで断面ではない。それが私の考える日記がフローだということだ。
実際、mixiの日記を改めて眺めてみても、その頃の生活のフローとしての自分がそこにはいる、記録としての意味はほとんどない。そもそも改めて読み直してみてもそれを書いた理由が思い出せない。安部公房の第四間氷期の感想? 読んだことすら忘れてしまっている。
それで別に構わない。改めて読めば、「そんなこともあったかな」という程度のものだ。ただ、日記を書くことが好きかと聞かれれば好きだとは言える。それだけのことだ。
釣りバカ日誌 新入社員 浜崎伝助
「釣りバカ日誌~新入社員 浜崎伝助~」を観る。楽しかった。なんなんだろうこの罪の無さは。濱田岳演じる浜崎伝助のかろみは。
まるでイタリア歌曲のようだ。「お父さん、私あの人と結婚できないなら、このベッキオ橋から飛びこんでしまうわ」「おお、娘よ、なにをいうのだ」ドタバタ・ドタバタ。「みろよ、青い空、白い雲、そのうちなんとかなるだろう」 そんな風に伝助は歌っている。
人当たりはよいが、注目を浴びたいという気持ちはなく、他人の評価も気にしていない。釣りに関してはきちんと合理的であり、理屈ももっているが拘泥せず、かといって職人的気質の中に埋没するわけでもない。
当たり前だが彼は「釣りバカ・ファースト」の人だ。そして人は通常「釣りバカ・ファースト」では生きられない。
そのかろみの構造は、新入社員浜崎伝助がファンタージのセカイの登場人物であることに起因する。ファンタジーだから、この世のわれわれの拘泥に伴う欠点がない。そこに「あんな風に生きていけたら少し楽かもしれない」と共感されうる人物造形の原型がある。
だから新入社員浜崎伝助はキャンベルのいうところの「英雄」なのだ。だから浜ちゃんセカイにも(1)冒険、(2)勝利、(3)帰還の構造がある。スターウォーズと同様の物語世界が釣りバカ日誌という独特の世界感の中で展開している。
世間的な知恵を「まぁ、すれ違うこともあるけれど、なんとかやっていきましょう」という非常に現実的なアプローチだとしよう。一方、ファンタジーは「現実世界は現実世界として、でもそうでないオルタナティブを提示する」というアプローチだ。寅さんしかり、ドストエフスキーの「白痴」のムイシュキン公爵しかり。
世間的な知恵はある種の自己防衛によっても強化される。それは自らを守る防壁になると同時に、時として自らの自由を奪う。だからこそ、ときどき、そんな防壁のない世界に憧れてしまう。どうでもいいように思える新入社員浜崎伝助の世界に。
きっかけ
たぶん、小学校の3年生ぐらいまで、私は本を読むことがない子どもだった。仲のよかったN君はドリトル先生の全巻を読んでいたりしたけれど、私はそれをどうとも思っていなかったし、すごいなとも思っていなかった。単純に、本を読むことに興味がなかった。
実際はそもそも本を読むということが上手くできなかったのだと思う。本を読むということがどういうことなのかもわかっていなかった。運動も得意ではなかったし、学校もよく休んでいた。
本を読むようになったのは、母親が「魔ほうのボール」という本を買ってきてくれたことだった。なぜその本だったのかはわからない。覚えているのは、私は学校を休んでいて、「休んでいるならこの本でも読んだら」と買ってきてくれたということぐらいだ。
「魔ほうのボール」は面白かった。ボールのような形状をした宇宙人と少年が友だちになる話だったような気がする。ちょっと自信のない主人公の少年が、魔ほうのボールに助けられながら、少しずつ自信をつけていくような話だった気がする。しかし、記憶はおぼろげだ。いずれにせよ、このとき初めて、「本って面白いんだな」と私は思った。
その後、同じシリーズの「わんぱくロボット」という本を買ってもらった。こちらはあらすじを少しも覚えていない。ただ、すごく面白かったという記憶だけけが残っている。
この2冊が私が本を読むようになったきっかけだ。それから私は本をよく読む子になった。運動は不得意のままだったし、学校もやっぱりしばしば休んでいたが、本は友だちになった。
検索してみると、最初の2冊はどちらも偕成社の『世界のこどもエスエフ』の本だということがわかる。エスエフが私の世界を変えた。それは確かなことだ。
答えのない質問
レナード・バーンスタインの「答えのない質問」。副題は「1973年ハーヴァード大学詩学講座」。高校生の頃に本の方を古本屋で買った。それなりの値段がしていたような気がする。少し背伸びをしながらわくわくして読んだ。
目次は、1.音楽的音韻論、2.音楽的統語論、3.音楽的意味論、4.曖昧さの喜びと危険、5.20世紀の危機、6.大地の詩と続く。
第3章の音楽的意味論 IIでは、「ベートーヴェンの<<田園>>交響曲を、外部的で非音楽的なあらゆる隠喩から分離させて、純粋音楽としてきくことが可能だろうか?」という問いが投げかけられる。第4章の曖昧さのよろこびと危険では、ベートーヴェン、シューマン、ショパン、ベルリオーズ、ワーグナー、そしてドビュッシー<<牧神の午後への前奏曲>>へと続く曖昧さの量的変化の系譜が語られる。
持っている本の中でも、好きで大事にしているものの筆頭だ。その内容の理屈っぽさが好きだし、そもそもタイトルがいい。"The Unanswerd Question"。20世紀を象徴するタイトルだと思う。ある意味、この言葉に心が囚われてしまったといっても過言ではない。この本によって、自分は19世紀から20世紀にかけて、そして20世紀から21世紀にかけてと100年のスケールで考える視座を借りることができたのかもしれない。
講義録を録音したレコードが欲しかったが、当時、それは自分では手に入れることができなかった。音楽の講義録なのだ。本来は読むものではなく聴くものなのだ。ああ、レコードが欲しいなぁと思っていた。
それから25年以上たち、録音がDVDとして発売されたことを知ったときは本当に嬉しかった。モノとして手にしたことが嬉しいと、普段はほとんど感じることがないのに、このDVDだけは別だった。人生の中で、モノとして手に入れて嬉しかったものはこれくらいなのかもしれないなと思う。
近所のブックオフで
近所のブックオフで、岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」を100円で買った。茨木のり子著。
冒頭、「はじめに」として、茨木のり子はこう書いている。
いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまt、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。
私は長いあいだ詩を書いてきました。ひとの詩もたくさんよんできました。そんな歳月のなかで、心の奥深くに沈み、ふくいくとした香気を保ち、私を幾重にも豊かにしつづけてくれた詩よ、出てこい! と呪文をかけますと、まっさきに浮かびあがってきたのが、この本でふれた詩たちなのです。
美しいことばだなと思う。こんなことばが書けたらなと思う。それが100円。平和な時代をかみしめる。
最初の詩は、谷川俊太郎の「かなしみ」(詩集『二十億光年の孤独』)。
あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
なにかとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまつたらしい透明な過去の駅で
遺失物係の前に立つたら
僕は余計にかなしくなつてしまつた
少し進むと谷川俊太郎が四十代になって書いたという「芝生」(詩集『夜中に台所でぼくはきみにはなしかけたかった』)。
そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だからわたしは人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
そして、吉野弘「I was born」(詩集『消息』)。
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕霞の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。
女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生れ出ることの不思議に打たれていた。
女はゆき過ぎた。少年の思いは飛躍しやすい。その時、僕は(生まれる)ということが まさしく(受身)である訳を ふと了解した。僕は興奮して父に話しかけた。
- やっぱり I was bornなんだね -
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
- I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね -
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
- 蜻蛉という虫はね。生まれてからニ、三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね - 僕は父を見た。父は続けた。
- 友人にその話をしたら 或日、これが蜻蛉の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るのに適しない。胃の腑を開いても入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて(卵)というと彼も肯いて答えた。(せつなげだね)。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落してすぐに死なれたのは -。父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裏に灼きついたものがあった。
- ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体 -。
長い引用になってしまった。吉野弘は好きなんだ。それにしてもよい本だなぁ。ほんの何ページかでも心が動く。どこかでかさりと音がするような気がする。
(2007年12月6日, mixi改)