okadamktの日記

That's what we call a tactical retreat.

餅は餅屋。

古い物言いかもしれないが「餅は餅屋」だと思っている。三味線を習うなら三味線のお師匠さん、大工なら大工の棟梁、植木屋なら植木屋の親方ということになる。では物の使い方なら? たとえばノートの使い方。『文具会社の社員が密かに実践する「ノート術」』というタイトルには思わず釣られてしまう。

 

ノート最大手のコクヨに「ノートの使い方」を習うっていうのは確かにいいアイディアだ。ノートは枯れた商品とはいえ商品開発というプロセスが止まってしまっている訳ではない。枯れた商品だからこそ、コクヨは熱心にユーザーに「今」のノートの使い方を尋ね、分析し、検討しているはずだ。先進的で極端な使い方をする「エクストリームユーザー」との出会いも多いだろう。新しい「はっ」とするような使い方をする「エクストリームユーザー」とはそうそう出会えるものでもない。


もちろんノートも製造物だからすべてのアイディアを採用することはできない。よいアイディアであっても商品に展開できない知恵に類することもあるだろう。しかし、よいアイディアだと感じれば使って試してみたくなるのが人情だ。コクヨの社員はその最前線にいる可能性は高い。しかも、文具の会社に就職しようという人は100%とは言わないものの文具好きである可能性は高い。「好きこそものの上手なれ」、文具のことは文具メーカーの人に聞けだ。

ノートだけではない。同じことはハサミにも言える。ハサミの使い方に一番拘りを持っているのはハサミを作っている会社だ。たとえば「ハサミ エアロフィット サクサ」。コクヨの方には申し訳ないが、ハサミにそんなキャッチコピー、私ならつけない。下記のようなこんな派手な動的Webページにもしない。「どれだけハサミが好きなのか?」という印象を禁じ得ない。だからこそ、この人たちにはハサミの使い方をぜひ聞きたい。


同じことは他の製造業にも言える。ホンダやヤマハにはバイクについて語ってほしい。花王には洗剤の使い方やクイックルワイパーの賢い利用法や掃除の賢いやり方の蘊蓄を聞かせてほしい。自分はしないが化粧のやり方なら資生堂にも話を聞きたいし、アサヒビールであれば格好いいビールの飲み姿に関する彼らの意見を知りたい。その企業が自分のところの製品やサービスを愛しながらどんな風に使っているのかという「使いこなしの上級編」。その会社がやっている「○○教室」ではなく、その会社の社員の方にその人の思いを直に聞いてみたい。企業は人だ。

同じことは図書館や博物館、極端にいえば行政もそうだ。図書館の使い方は司書の人に、博物館の見どころは学芸員の方の話をききたい。行政との付き合い方も同じだ。そこには「ハコ物」からは見えない「人」がいる。ちょっと見では分からない「思い」がある。

餅は餅屋。それはお任せという意味ではない。その人たちが大切にしていることへの共感だと思う。

そこにあるリソースと選択の結果

旧オランダ国鉄を継承したというオランダ鉄道が、運行するすべての列車の動力源を風力発電で運用することに成功したという。列車を運行する電力を100%風力でまかなうのは世界初なのだそうだ。

 

デンマークも電力消費の3割近くは風力発電で賄うという。デンマークは1970年代のオイルショックを契機に、9割以上を輸入原油に頼っていたエネルギー自給率の改善に取り組み、1997年には自給率は100%に達成、2004年に到達した自給率のピーク165%からは下がってしまったとはいえ、2013年の段階で自給率93%だという。

cf. デンマークのエネルギーシステム

 

オランダの人口約1600万人(面積41,526km2、人口密度397人/km2)、九州の人口約1300万人(面積 36,782km2、人口密度307人/km2)。大雑把にいえば、オランダと九州は単純に人口と面積だけを考えればほぼ同じ規模だということになる。デンマークはオランダや九州に比べると人口は少なく約571万人(面積43,094km2、人口密度126人/km2)。こちらも大雑把にいえば、面積はオランダや九州とほぼ同じ規模で人口が1/3程度ということになる。

ということは、やろうと思えば九州でもオランダ鉄道と同じような試みは可能ではないのか。デンマークの事例もオイルショック時点での状況は日本とデンマークとでそれほどの差はなかったはずだ。日本全体は難しくても少なくとも九州でならば、その一部でも同様の取り組みが可能ではなかったのか。

もちろん、人口と面積だけで比較することが乱暴すぎることはわかっている。様々な前提条件も大きく異なるだろう。ただ、オイルショックは1970年代、それから少なくとも40年は経過したのだ。彼我の差はどこにあったのかと思う。オランダやデンマークも1970年代のオイルショックの頃にどこまでできると思っていたのかもわからないのだし、誰かを非難するつもりはない。ただ純粋に彼我の差の要因を分析的に考えることがあってもよいのではないかと思う。

これもまたあまりに乱暴な話だが、たとえば九州の阿蘇郡小国町岳の湯地区に行けば、地熱による蒸気が溢れている。そしてもちろん九州全体で風力や地熱がどの程度の規模で利用できるのかはきちんとは分からない。しかし、九州ならできるのではないかという何らかの可能性も感じるのだ。オランダやデンマークにはできたのだから。

そんなことを、冒頭のオランダ鉄道のニュースについて思った。

 

熊本県阿蘇郡小国町岳の湯地区

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cf. 地熱乾燥材 | 阿蘇小国杉のくらし | 小国町森林組合

 

 

呼ばれたい名前を名札に。

ワークショップに参加すると、よく『今日、呼ばれたい名前を名札に』と言われる。"日頃の肩書きに拘らず気兼ねせずに自由な気持ちで参加してください”という事務局側の配慮なのだろう。"肩書きを気にしてしまう人もいるから"という配慮、事務局側の参加者の気持ちに寄り添いたいという思いの表れだともいえる。確かに○○会社に勤務する△△という名札では無粋だし、その人の内発的なものよりも肩書きの方を見てしまうこともあるかもしれない。その思いは別に間違っているとかいう筋合いのものではない。

しかし、より大きな時間軸の中でワークショップを位置づけるとき、『今日、呼ばれたい名前を名札に』というのは有効なのだろうか。

もし『今日、呼ばれたい名前』がその場の思いつきでつけられていれば、その名は揮発性になる。ワークショップの時間は普通は2時間から3時間、長くて半日。揮発性の名前ではワークショップが終了すれば、あっという間に忘れてしまう。"あの人は面白い人だったな"と感じても「あっちゃん」だったか「やっちゃん」だったかを少なくとも私は覚えられない。天気がいいので「晴れ男」さん、緑が好きなので「グリーン」さんでは、面白くはあるが、それはその場限りのもの。それはそれでもよいのだ。しかし、同時に、それがワークショップ事務局が本当に実現したかった参加者間の関係性なのだろうかとも思う。

ワークショップの時間は限定されている。ワークショップはきっかけに過ぎない。もし、ワークショップをきっかけにして、何らかの人と人とのつながりまでをワークショップの意義として設計したいのであれば、『今日、呼ばれたい名前を名札に』は参加者に対しての最適な働きかけではないのではないかと思う。その場の思いつきの『呼ばれたい名前』は不便なのだ。

その意味で、『今日呼ばれたい名前』を促す事務局は参加者に配慮しているようで、実はそうではないのではないかと心の中では思っている。それよりは下記のリンクにあるように、『ネット上の通り名』を使う方がよっぽどスマートだと思う。  

 

ゲド戦記の中にある「真の名」は必要ではない。しかし、時間軸の中で継続する「アイデンティティーとしての名」でなければ、渋谷の交差点で偶然すれちがった人との立ち話(それはそれで面白いが)になってしまう。他者は他者ではなく、自己に投影されたイメージの中の影のような存在になってしまう。そんな風には思う。

 

習性というのはそういうもの。

少なくともフッ酸を注ぐときはラベルが上だ。液だれがラベルに染みないように。フッ酸は触れると激しく体を腐食する危険な毒物としても知られている。もちろん実際に扱うときは当然手袋をしているし、硫酸や塩酸とは異なりラベルを損傷するというわけではない。つまり気持ちの問題ということになる。

 

小学生の高学年ぐらいからではないだろうか、こういう拘りが生まれるのは。その頃に試薬を取り出す方法を「なるほど」と思ったかどうかがその後の人生を決めている。もちろんその頃はビールは飲んでない。

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液体試薬を試薬びんから取り出すときは、図1のようにラベルが上向きになるように配慮する。下向きだと、びんの外側にこぼれた薬品によりラベルがおかされてボロボロになり、どんな薬品が入っていたのか分からなくなる。このことは、特に酸類において著しい。

http://www.osaka-c.ed.jp/kak/rika1/jik-db/jik2-3.htm

 

あとはこんなことに拘るゴミで私はいい。理系だし。

風景の記憶

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飯能と横瀬の境にある正丸峠から、晴れた日には関東平野が一望できる。遠くには筑波山が見える。ときどき、朝早くに車で出かけた。少し霞む関東平野は美しかった。遠くに巨人兵が眠る姿が見えたような気がした。

4月の終わりに、混む前にと思い、北の丸公園の国立近代美術館に東山魁夷展を見に行った。

私でも知っている『青響』。ブナの深い青の原生林を白い滝がどうどうと音を立てて流れ落ちている。水原秋桜子の"滝落ちて群青世界とどろけり"とはこういう滝をいうのだろうとずっと思っていた。

しかし解説によれば、画家が見た風景の中に滝はなかったという。深いブナの森をみて画家は滝の音が聴こえるような気がしたのだという。だからこの滝は幻の滝。

ブナの樹形はよく見ると角ばって描かれている。ブナに限らずこんな樹形の樹は存在しない。わざとそう描いているのだ。

「山を渡る風を表すには絵巻にするしかないと思った」『秋風行画巻』についてそう本人が説明している。時間と空間を同時に描く。ああ、創意というのはこういうことなのだと思う。 (秋風行画巻1秋風行画巻2秋風行画巻3

『雲ニ題 海の雲』は何度も戻ってみてしまう。雲間から差し込む微かな光、ジェイコブス・ラダーが海をほのかに照らしている。波がしらの繊細さも美しい。『石の窓』も 壁の質感も、最後のコーナーの『山峡飛雪』も素晴らしい。

京都を描いたものの中では、艶やかな『照紅葉』もよいが、心がしんと静かになるような『月篁』が好きだ。

(2008年5月3日, mixi 改)

極相

植物の群落が遷移し、最終的に到達する段階を意味する「極相」という状態がある。東北日本であればブナ林が、西南日本であればシイ、カシ林などがその代表となる。里山や植樹林を除けば、丹沢山塊がブナ林的で明るい感じの林が続き、川崎などの平地ではシイやカシの暗い感じの林が多くなるのは、関東が標高で東北日本的であったり西南日本的であったりするからだと思っている。

植物の場合、群落が極相に達するとが変わらない限り同じ状態で存続し続ける。それが極相という言葉の由来だ。一方で極相はそれほど確定的なものでもなく、初期状態や遷移過程など様々な条件によって変化するともいう。

制約条件の中での遷移の構造(様相)が変化するというのは、アナロジーとして面白い。たとえばボーリング。経済発展の経緯の中で平均所得がある一定レベルを超え、人々はレジャーを身近なレジャーを求めるときに発展するという。スポーツは遷移の過程を示し、現在はあまり人気のないボーリングは極相ではなかったということだ。スキーやテニスは極相なのか、それともそもそもスポーツなどでは極相という状態は存在しないのか。実はジョギングは極相なのか。

アナロジーだから結論はなく、論理的には本質的な整合性もない。だが、極相というアナロジーで考えると、ローラーゲームは本当にあだ花で、ある時期、ある条件のもとで一瞬だけ咲いた哀しいスポーツだったともいえる。

アシモフがファウンデーションシリーズの中でSF的な仮説として考えた「心理歴史学」(膨大な数の人間集団の行動を予測する為の数学的手法)もそんなアナロジーの延長線上にある。もちろんアシモフはその遷移の結果を極相的な安定状態よりはより不安定な状態として考えていた。ベルリンの壁崩壊以降の約30年に起こったことを考えると極相的な考え方よりもアシモフのSF的な予想の方が正しかったことになる。

【備考】気候的極相林、地理的極相林

(2009年4月17日, mixi 改)




 

 

 

ちはやぶる

「恋す蝶」という蝶はどんな蝶なのか、「ゆらの塔」というふしぎな塔はどこにあるのか

子どもの頃に感じた百人一首の思い出を歌人佐々木幸綱はそんな風に語っている(*1)。落語の「千早振る」(*2)に思わず共感してしまうのは、誰もが同じような気持ちになったからだろう。

もちろん、百人一首に歌われた内容の背景や意味をもう少しきちんとわかりたいと思う。アニメや映画にもなった「ちはやふる」の登場人物の一人、大江奏のいう通りだ。それに、その方がたぶん人生は豊かになる。私にとって詩人吉原幸子百人一首の現代語訳はその入り口を開いてくれる。

たとえば「ちはやぶる」。歌の詞書「二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川に紅葉流れたるかたを描けりけるを題にて詠める」を受け、まるで幻想冒険小説の一場面だ。

ちはやぶる神代もきかず龍田川
からくれなゐに水くくるとは

神代のむかしには
さまざまなふしぎがあったとか
島が動いたり
八いろの雲がたなびいたり
それでも こんな話は絶えて聞きませぬ
まして人の世
このように珍しい景色があろうとは-


燃えるように色づいたもみじが
竜田川の川面にびっしりと浮かび
まるで 韓国(からくに)の紅で
澄んだ水を絞り染めにでもしたように
血のように 炎のように
重なり合って流れてゆく

(美しい屏風の主よ
 過ぎた日々 あなたに燃やした
 わたしの 胸の火のように)

好きな歌は年齢とともに変わる。寂しいという感情や人以外の者を友としたいという思いも募る。

世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

そうか
逃れる道は ありはしないのか


憂き世をいとう心にせめられ
思い悩み 思いつめて
この山奥へ 分け入ってきたが
ここにさえ 悟りすました静けさはなく
おお あんなにも もの悲しげに
腸をしぼるように
雌を恋うてか 鳴いている鹿の声
まるで おのが悲鳴をきくようだ


煩悩は 地の果てまでも迫ってくる
山を下りて
現し世を引き受けるしかないのだ・・・ 

もろともにあはれと思へ山桜
花よりほかに知る人もなし

吉野山 大峰の奥深く
思いもかけず咲いていた一本(ひともと)の山桜よ

私が おまえをなつかしむように
おまえも わたしをなつかしんでおくれ

里では もう花も散っているのに
春におくれて ひっそりと咲く
わたしたちは 似た者とうしだ

世を忘れ 世に忘れられて
きびしい修行の道にはげむわたしの
それでも 枝いっぱいに生(いのち)を生きる
この心を知ってくれるものは
おまえしかいないのだから 桜よ 

 ブナの林でも同じような気持ちになる。

(*1) 佐々木幸綱編著「百人一首をおぼえよう 口訳詩で味わう和歌の世界」まえがき
(*2) 落語「千早振る」 wikipedia